最新情報 
2012年8月 
 シリア内戦取材

2009年7月〜8月
 アフガニスタン大統領選、米軍同行取材中

2009年2月〜3月
 アフガニスタン取材中

2008年6月
 
アフガニスタン取材中

2008年3月
 イラクバグダッド・ラマディ取材中

2007年11月
アフガニスタン取材から帰国しました
 
2007年10月

 アフガニスタン取材中
 10月25日ニュースZEROでアフガニスタン特集「ISAF(国際治安支援部隊)の活動」を放送予定

 
2007年4月
 アフガニスタン取材中

2007年4月
 アフガニスタン取材中
 
日本テレビニュース「リアルタイム」でアフガニスタン週間
 4月30日、5月1日特集と現地生中継
 5月2日特集で【アフガニスタンの女性たち】


2006年7月
 サマワの自衛隊撤退完了を取材後、イスラエル軍の攻撃の続くレバノンへ
 
2006年7月
 自衛隊サマワ撤退取材
 
宿営地を訪れ取材を試みるが取材拒否。いつもの通りだ。
 
 
2006年1月
 
イラク南部サマワ取材

  

  自衛隊の宿営地


2005年12月
 バグダッドでイラク総選挙を取材中

   


2005年9月3日
 
日本の外務省は、カンダハール近郊で発見された遺体は、
 歯型などから行方不明になっていた、広島県の2教諭と確認。
 カブールで検視をしたアフガニスタン人医師によると頭に銃で撃たれた跡があり、
 死後約1ヶ月経過しているとのこと。


2005年9月2日

 アフガニスタンで邦人とみられる2遺体が発見される。
 パキスタンとアフガニスタンとの国境からカンダハールに向かう砂漠地帯で発見された遺体は、
 損傷が激しく、所持品も見つかっていないとのこと。
 遺体をカブールに搬送し、在アフガン日本大使館で身元の確認を行う見通し。
 アフガニスタン南部は、現在も駐留軍による武装勢力掃討作戦が続いており、
 さらに強盗、誘拐、爆発事件が頻発する、非常に不安定な治安状態である。
お問い合わせはこちらまで
 japan@j-press.co.jp

2005年6月28日
 イラク人へ主権が移譲されて一年が経過した。
 昨年、6月30日に予定されていた主権移譲の手続きは、
 2日間前倒しをして28日に行われた。
 テロを警戒して急遽前倒ししたと見られ、当時CPA(連合国暫定当局)のトップだった
 ブレマー行政官が、主権移譲式を終えると、瞬く間にバグダッドを後にしたのが印象的だった。
 後に彼は「肩の荷が下りた」と話している。
 3日後の7月1日、イラク特別法廷でフセイン元大統領の訴追手続きが始まった。
 その後姿を現したフセイン元大統領は、拘束時の弱々しい姿とは打って変わり、
 目に鋭さを取り戻していた。
 現地でアルジャジーラやCNNを一緒に見ていたイラク人スタッフたちは、
 スンニ派のスタッフは、「おー我が大統領は元気だ。」と喜び、
 シーア派のスタッフは、「このやろう!」と画面に向かって声を上げ、
 クルド人スタッフは、「この悪魔!」とテレビの前から離れた。
 彼らはそれぞれの思いを胸にフセインの行く末を注視している。
 あれから一年、フセイン元大統領の裁判は、まもなく再開される予定だ。
 
 今後の政治日程は
 8月15日までに新憲法の起草
 10月15日までに新憲法の是非を問う国民投票
 12月15までに総選挙
 12月末までに正式な政権発足
 
 自爆攻撃は毎日のように起き、イラク人、米兵の犠牲者は増え続けている。
 サマワの治安も不安定になっている。
 政情不安を引き起こすことで今年4月末に発足した移行政府を脅かし、
 年内の新政権発足を阻止しようとする動きは、今後さらに活発化するだろう。

2005年4月9日
 バグダッド陥落から2年が過ぎた。この2年間で果たしてイラクは平和になったのか。
 そもそもイラク戦争とはなんだったのか、あの戦争を目撃した者として考え続けている。
  11日発売の週刊誌サンデー毎日(毎日新聞社)でリポート掲載します。

2005年3月20日
 イラク戦争開戦から2年

 
現地時間の朝4時半過ぎ、それはかすかに聞こえた爆発音と
 警戒警報のサイレンから始まった。
 バグダッドに落とされた爆弾の着弾音。
 そして赤く光る炎を忘れることはないだろう。
  

2005年3月7日
 
武装組織に拉致され、解放されたイタリア人記者の乗った車両を
 4日、米軍が銃撃。イタリアの情報局員一人が死亡した。
 場所は、バグダッドの国際空港に続く検問所近く。
 
 この事件を聞き、真っ先に思い出したのが、
 昨年3月におきたアル・アラビヤTVの記者殺害事件だ。
 当時、バグダッドで取材していた私たちの耳に聞こえてきたのは、
 やはり米軍の「誤射」だった。
 検問に近づいてきた車両めがけて、アメリカ兵が銃を乱射。
 そばを通りかかったアル・アラビヤテレビ取材班の車も銃弾を浴び、
 乗っていたイラク人記者が死亡した。
 これは今に始まったことではなく、イラクでは毎日のように繰り返されていること。
 掃討作戦、家宅捜索、不審者の追跡。
 アメリカ兵は、銃を乱射して、周囲の人々を巻き添えにしている。
 しかし、彼らが罪に問われることは、ほとんどない。
 イラクの人々は、泣き寝入りだ。
 今回の事件では、イタリア政府は、米国に対し、強硬な姿勢を見せ、
 事件の真相を明らかにすることを要求している。
 これを機に占領軍の不当な行為が少しでも明らかになって欲しい。

 
 
2005年2月21日
 
イラク・サマワからオランダ軍撤退開始

2005年2月18日

 バグダッドでシーア派のモスクなどを狙った爆弾事件
 18日19日の両日だけで90人以上が死亡

 イスラム教シーア派の宗教行事アシュラ
 680年、イラク中部カルバラでスンニ派に虐殺された
 イマーム・フセインの殉教を悼むシーア派最大の宗教行事
 巡礼者がカルバラを詣で、悲劇を再現するため、
 自分の体を鎖や釘で傷つけたり、泣き声を上げる
 イスラム暦の神聖月「ムハッラム」10日に最高潮となる
 今年は、2月19日

 アシュラ
        イスラム教シーア派の宗教行事アシュラ

 昨年は、アシュラの時期にシーア派を狙ったテロ事件が多発
 3月2日の最終日には、首都バグダッドとカルバラで
 大規模な爆弾テロ事件が起き、180人以上が犠牲となった

 
2005年1月30日

 イラク国民議会選挙投票開始

2005年1月28日

 イラク国民議会選挙、在外投票開始オーストラリア、イラン、ドイツ、英国、米国など
 世界の計十四カ国で行われる

2004年11月2日
 米大統領選
 イスラム系ウェブサイに香田さん殺害映像


2004年10月30日夜
 
香田さん遺体で発見

2004年10月27日
 武装グループに誘拐されたのは、福岡県出身の香田証生氏と判明

2004年10月26日
 
日本人人質事件発生
 イスラム系ウェブサイトに日本人男性と見られる映像が流され、
 48時間以内に自衛隊を撤退しなければ人質を殺害すると警告

2004年10月〜11月

 バグダッド取材

2004年3月20日
 開戦から1年 

2004年3月19日
 18日夜9時ごろ、バグダッドのカラダ地区で3つのホテルが攻撃を受けた。
 CPA本部方面からも爆発音。
 これらバグダッド中心部で起きた事件を取材していた、
 中東の衛星テレビ局「アル・アラビヤ」の取材班が、
 検問所で警備に当たっていたアメリカ軍の銃撃を受けた。
 アル・アラビヤの運転手の話では、高速で検問に進んできた別の車に向けて、
 アメリカ兵が銃を乱射。
 アル・アラビアの運転手が、停車していた車を慌てて動かし向きを変えたところ、
 取材車も銃撃を受けたと言う。
 この攻撃でイラク人カメラマンが即死、記者は頭に銃弾を受け、
 病院に運ばれたが今朝死亡した。
 亡くなったアリ・ハティーブ記者は、昨年の空爆時、イラク衛星テレビの記者だった。
 一度、「日本ではイラク戦争をどう捉えているのか」とインタビューを受けたことがある。
 小柄で、物静かな男性だった。
 陥落後は、経験を生かしアラブのテレビ局で活躍していたのだ。
 アル・アラビヤは、中東でもアル・ジャジーラに次いで視聴者の多い衛星テレビだ。
 
 今日バグダッドを電撃訪問したアメリカのパウエル国務長官。
 記者会見場では、アル・アラビヤのスタッフが抗議文を読み上げ退席。
 イラク人とアラブの報道関係者、数十人が、
 事件への抗議の意をこめて会見場を後にした。
 この模様は、アル・ジャジーラやアル・アラビヤで繰り返し放送された。
 パウエル国務長官は、「記者の死は遺憾である。」と述べた。
 今朝からアルアラビヤでは、画面の左上に黒い喪章が記されている。

 一体何人のジャーナリストが、米軍の攻撃で死んだだろうか。
 バグダッド陥落直前の昨年4月8日、バグダッドに侵攻してきたアメリカ軍は、
 アルジャジーラの支局を攻撃、記者が一人死亡。
 アブダビテレビもほぼ同時に攻撃された。
 そして報道陣の拠点となっていたパレスチナホテル。
 ここにも米軍戦車は砲弾を撃ちこみ、
 ロイター通信とスペインのテレビ局のカメラマンが死亡した。
 
 夏に取材していた時には、
 アブグレイブ刑務所周辺を取材していた、
 ロイター通信のパレスチナ人カメラマンが、
 走ってきた戦車から撃たれて死亡した。
 発表された攻撃の理由は、
 『カメラを銃器と見まちがえたから』だった。
 見通しのいい公道で撮影していた取材班。
 停車していた別の戦車は、その様子をずっと眺めていたという。
 捜査はいつもおざなりで、
 まるで何事も起きなかったように終止符が打たれる。
 人が殺されたというのに。
 イラク市民が銃撃されてもそうだ。
 事実が明るみに出ないことすらある。
 人権なんて言葉は、ここにはない。
 裁判も行なわれない。不当逮捕されても謝罪はない。
 治安を守るための米軍が、市民に銃を向けている。
  
2004年3月18日
 マウント・レバノンホテル前の爆発事件には、
 車に積まれた約450キロのプラスチック爆弾が使われた模様。
 死者7人、怪我人40人以上。(死者数は下方修正された)

2004年3月17日
 夜8時10分ごろ、バグダッド中心部のカラダ地区の
 『マウント・レバノン』ホテル前で爆弾が炸裂。
 死者27人、怪我人40人以上。

2004年3月9日
 イラク取材ノート更新

2004年3月4日
 イラク同時テロの死者約171人、負傷者500人以上とみられる。


佐藤和孝取材ノート

2004年3月2日
 バグダッドとカルバラで同時多発テロが発生。
 死者は合わせて150人以上とみられている。
 米軍によるイラク占領統治後、最悪のテロ事件となった。
 
2004年2月                
 イラク・サマワ、バグダッド取材中。

yamamoto

 
 
2003年12月
 イラク・バグダッド取材開始。
 フセイン大統領拘束後のイラク情勢。
 自衛隊派遣地サマワ取材。

2003年9月
 ロシア・北朝鮮国境「北朝鮮労働者」取材
 ロシア・ノボシビリツク「北朝鮮留学生」取材
 
2003年7月31日(木)
 フランスの「国境なき記者団」から米軍の暴行事件に関して
 インタビューを受ける。

2003年7月28日(月)
 ロシアNTVから米軍の暴行事件に関して電話インタビューを受ける。
 ロシア全土でその模様は放送され、
 後にロシアジャーナリスト連盟がモスクワの米国大使館に抗議。

2003年7月27日(日)
 バグダッド市マンスール地区、米軍がフセイン捜索のため民家を急襲、
 巻き込まれた民間人5人が死亡。
 犠牲者の遺体を搬送する様子を撮影中の佐藤和孝を米軍兵士が銃を突きつけ暴行。
 約40分間拘束。
 正当な取材活動中の妨害行為、及び言論を暴力で封殺する行為だとして、
 日本テレビは、在日アメリカ大使館に抗議。

2003年7月19日(土)
 イラク・バグダッド取材開始。

2003年7月7日(月)
 『山本美香 中継されなかったバグダッド』発売。1000円(税込み)小学館
 ようやくイラク戦争現地ルポを上梓することができました。
 お力添えくださった皆様ありがとうございました。
 
2003年6月7日(土)
*全国マスコミ倫理懇談会 基調講演(佐藤和孝) プレスセンター
 *富士女性センター 「戦火のバグダッド報告」(山本美香)

2003年6月5日(木)
 第43回全国紙面審議懇談会 イラク戦争現地報告(山本美香)

2003年6月3日(火)
 「バグダッド日誌」 現在執筆中につき休止中。
 6月30日小学館より
 『山本美香 中継されなかったバグダッド』出版予定(書き下ろし)

2003年4月23日(水)
 佐藤、山本、岸田イラクより帰国。
 日本テレビにて、スーパーテレビ「女性従軍記者の36日間」制作発表。記者会見。


今後の特別番組放送予定

  
4月28日(月)午後9時〜10時24分スーパーテレビ
    『女性従軍記者の36日間
        〜今だから公開できる記者たちがイラクで命をかけた映像』

  5月5日(月)午後11時29分から。今日の出来事拡大版
    『戦争、そこに生きる人々〜佐藤和孝が見た戦争の真実(仮)』

  5月11日(日)深夜0時25分から。NNNドキュメント
    『戦争報道〜イラク戦争 テレビは何を伝えたか(仮)』

2003年4月20日(日)
 取材メモから更新していますが、なかなか追いつきません。
 過去の日付が更新され、さらに増えていますがどうぞご了承ください。
 YAHOO! JAPAN の今週のおすすめ。で月曜日からこのホームページが紹介されます。

2003年4月14日(月)
 めまぐるしく情勢が変化し、先週末からバグダッド通信を更新できずにいました。
 本日、一部更新。今後も取材手帳の記録をバグダッド通信に反映します。

2003年4月5日
  バグダッド通信に写真追加

  

これからは、Go!バグダッド通信(取材日誌)に記録していきます。


2003年3月17日
 イラク時間の夕方、バグダッドに入った。
 ヨルダンとイラクとの国境は、スムーズに通過できた。
 車の往来は非常に少ない。
 まっすぐ続くアスファルトの道。左右には果てしなく広がる砂漠地帯。
 蜃気楼も見える。
 ヨルダンのアンマンから車で11時間半の道のり、時速160キロで飛ばしてきた。
 バグダッド市内にはいると、家路を急ぐ車列で渋滞している。
 ホテルにひとまず荷物をおき、 情報省に構えられているメディアブースへ。
 あわただしく動き回る各国のメディア関係者達。
 荷物をたたんで引き上げていくクルーも多い。
 そういえばホテルの駐車場には、大量の荷物を積んだ4輪駆動車が
 何台も停まっていた。
 到着ではなく出発する外国人達のようだ。
 国連核査察団も退避始めたという情報もある。
 あと数時間後には、ブッシュ大統領が演説をしイラクに最後通告をする。
 メディアセンターに集まっているイラク人の通訳や運転手達が食い入るように
 テレビニュースを見ている。
 「戦争が始まる。」
 「怖くないか?戦争が始まるぞ」イラク人たちに何度もたずねられた。
 「怖いよ。もちろん・・・」
 でも時は静かに過ぎていく。
 日本時間の18日午前10時。
 イラク時間の18日午前4時。
 世界の歴史がまた大きく変わる。
 戦争に向かって。

2003年3月17日
  事態が急変しているので、これまでの流れはいずれ報告します。

2003年1月5日
 ようやくこのホームページをはじめることになりました。
 昨年の同時多発テロ事件以降、世界の情勢はさらに緊迫し、
 刻一刻と変わりつづけています。
 このホームページでは、現場からの「生の声」にこだわり、
 実際に見たこと、聞いたこと、感じたことを
 報告したいと思います。  
 今世界では何が起きているのか。
 紛争の現場から最新の情報をお伝えします。


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